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久々の告知です。

急ですが、来週12日に東京日比谷音楽堂において、地域住民の声を国に届ける総決起大会、デモ行進、要望活動を行います。

俺も、総決起大会中に地域に住む青年として意見表明をさせていただきます。

地元双葉郡の方々はもちろんのこと、福島県住人の方、福島県を応援してくださる方にぜひ参加してもらえればと思います。

参加人数で国に対して本気度が伝わるかと思います。

皆さんの参加をよろしくお願いします。

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詳細は主催 ハッピーロードネットHPで! → http://happyroad.net/kekkitaikai.html

 


きのう浪江町から段ボール箱が家に届きました。

中身は、全国から集められた支援物資でした。

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カップヌードルや米、お菓子、缶詰などが詰め合わせてありました。

支援物資を送ってくださった全国の方々にありがたいなーと思ったと同時に、個々にきた大量の支援物資を、それぞれのダンボールに仕分けした方々の姿を想像し、あわせてありがたいなと感じました。

もらって当然と特に何も感じずもらうか、背景を想像しありがたく感じるか。

俺は心からありがたく感じながらこの支援物資を大切に使わせていただきます。

ありがとうございました。





久しぶりです。

気がつくと震災後2カ月を過ぎ、前回のブログを書いてから1カ月以上たってました。

この1カ月、すごく早く過ぎた感じがします。

時間を見て家族で色々なところに出かけたり、長男の運動会があったり、JC関係の友や先輩と杯を交わしながら将来のことについて話したり、お互い無事だったことに安堵感を覚えたり。

家族や仲間の存在が、大きなプレッシャーから受けるストレスをはねのけてくれてます。


仕事のほうは再開に向けここまで準備を進めてきました。

そして明日、いよいよ社員が仮事務所に集まります。

家庭の事情等で残念ながら一部の社員は集まれませんが、それでも多くの社員が福島市に設置した仮事務所に集まる予定です。

ここ一カ月、ブログを見ることがあってもつづることができなかったのは、やはり仕事を再開するまでその気になれなかったからでした。

だからといって、これから先もまだまだ前のような状況ではありませんが、とりあえず再開の一歩を踏み出せることに感謝したいと思います。


同じ地域には、事業を再開したくてもできない方、業種がほとんどであり、みな苦悩してます。

それが現状です。

だからこそ、厳しい状況でありますが、仕事を再開できるだけで心からありがたく思います。

まだまだ厳しい道のりは続くと思いますが、なんとか前進していきたいと思います。


また、これまで色々な方にお世話になりました。

その恩も決して忘れず、しっかりと胸に刻みながらなんとかつないでいって、必ず浪江に戻りたいと思います。

浪江に帰るという強い思いがあるからこそ、ここまで心が折れずにいられるんだと思う。

以前のように、細かくブログをつづれるかどうかわかりませんが、これからも心境や状況を綴っていきたいと思います。





大震災から早いもので1カ月経ちました。

あっという間でしたが、まだまだ身の回りが落ち着いていません。


この1カ月を振り返ってみると。

3月11日
浪江町内にて打ち合わせ中、大地震発生。
周りの古い木造の家は倒壊し、ライフラインがストップ。
夜は会社の応接室にろうそくを灯し、カップラーメンをすすりながら一夜を過ごしました。
海と原発に近い小学校に勤務している嫁さんが大熊町から夜9時過ぎにようやく帰ってきて一安心。

3月12日
朝に首相からの原発避難指示で避難。途中コンビニで食料を調達しながら、南相馬市へ向かうことに。
しかし夜には避難範囲が拡大し、とりあえず川俣町へ向かう。川俣町の薬屋さんの駐車場で家族とともに車内泊。

3月13日~14日
川俣町から郡山市の嫁さんの親せき宅へ。
途中、郡山市の天然温泉施設が無料で開放していたので3日ぶりに入浴。
その後、今度は会津若松市の親せき宅へ。親せき宅の前の集会所をお借りし、少しホッとし寝ました。
しかし、14日には出ていくことになりました。

3月15日~16日
集会所のある地区の会長さんの計らいで会津美里の一軒家をお借りし、親せきとともに集団で生活を始める。
しかしまた出ていかなければならない状況に。
これは自立しなければいつまでたっても落ち着かないと思い、県外から出る決意を。

3月17日~20日
会津美里を出発し、とりあえずホテルで落ち着こうと、さいたま市のホテルへ。ここでようやくネット環境がつながり色々と情報を収集することができました。
また滞在中にマンスリーレオパレスを契約し見沼区に住む準備を。

3月21日~
レオパレスに入居。とりあえず4月末まで借りたのでその間に浪江町、双葉郡の様子を見ながら、今後の身の振り方を考えよう。
会社再開にむけてようやく落ち着いて準備をすることにしました。

見沼区にいる間に、とりあえずの生活の準備をしたり、会社の従業員に対する給料を雇用保険でもらえるよう大宮職安に通ったりしてる間に、今度は嫁さんの職場が会津に移動したので会津にくるよう連絡が。
埼玉~会津に通い、アパートを借りたり準備をしました。

あと、時間のあるときはアパートの周りに歩行者専用道路があって、毎日4キロくらいジョギングしてましたよ。

4月5日
家族が会津に引っ越しました。

この週は浪江町臨時役場に行ったり、福島市で自分の住む所や会社の置くところを確認。そしてさいたま市に移動して書類作成したり、色々と忙しい。



そんなことをしていたらあっという間に1カ月経ってました。

この1カ月の間、色々な人たちにお世話になりました。
特に各地のJCメンバーには色々と助けてもらい、ありがたいのと同時にJCをやってきて良かったとつくづく思いました。
みなさんありがとうございました。

今後は家族はとりあえず落ち着いたので、自分は福島市にアパートを借り、会社の仮事務所を設置し、営業再開に向け早急に準備を進めていきます。
従業員も早く働ける環境を作ってあげないと。

今後もますます見通しはつきませんが、今の現状にただただ嘆いてばかりでいるのではなく、この現状の中で精いっぱい生きていきたいと思います。
どこに文句言ってもだれに文句言っても解決することはなく、結局は自分で現状を打破していくしかないからね。

頭にくることはいっぱいあるけどこの試練を必ず乗り越えていきます。

乗り越えられない試練はない!そんな気持ちで。












昨日、嫁さんの仕事の関係で、家族とともに会津若松市へ引っ越してきました。

子供たちの小学校、幼稚園の手続きもすべて終わりました。

嫁さんも明日より仕事に復帰するわけですが、通勤する車がありません。

避難指示により車を浪江町においてきました。

その後取りに行けず、置きっぱなしです。

他の町から車を持ってきた人の話を聞くと、放置した車の放射線量が異常に高いとのことなので、子供たちのことを考えると無理して持ってこないであきらめることにしました。

しかし、仕事はしなくてはならないので急きょ中古車を購入することに。

今回の原発避難により、どれだけ多くの出費をしてるかわかりません。

命があるだけ良しとしなければならないのかもしれませんが、ただ現実として家にあるものをそっくりまた購入しなければならないと思うと、腹ただしくなることが多くあります。

避難生活を強いられ、そのまま新年度からの新生活に移行する多くの避難住民はきっと精神的な負担に追い打ちをかけ、金銭的負担が大きくのしかかってることだと思います。

政府は今後いつまでに原発を収束させ、いつになると地域住民が一時的に地域に帰ることができ、いつになったら地元で生活ができるのか?
新生活をするために、命をかけて一時帰宅する住民に対して、罰則を与えるなら、国も不安を抱える住民に対して、地域に戻れるまでのロードマップを明確に提示し、それに対する進捗を日々わかるようにしていただきたい!

そうすれば地域住民もそれに向けての行動がおこせるはずだし、先行きの見えない不安も多少改善されると思います。



昨日、会津での生活の準備をするにあたり、坂田ブロ長と会津JCメンバーの方には色々とお世話になりました。
大変助かりました。
ありがとうございました。

おかげさまで、さっき長男は元気に新しい小学校へ登校していきました。
ちょっと緊張して行ったようですが、これから親として少しでも不安にさせないようにしていかないとね。






さとSUN

Author:さとSUN
さとSUN日記2へようこそ!

1972年1月27日生まれ。
福島県双葉郡浪江町在住です。

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